「映像研には手を出すな!」 5話 感想 ~ 次なる仕事はロボットアニメ!その歴史を追ってみた。

© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会

予算審議委員会を無事に通過した映像研。
そこに、謎の巨大ロボットが迫る……?
ロボットやロボットアニメに対する愛情が溢れた第5話でした!

※アイキャッチ画像ならびに本文中の画像は、 © 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会様公式HPより引用しています。

謎の巨大ロボット!これが次の仕事だった

なぜ学校の中に巨大ロボットが?

怪しげな扉を開けるみどり。そこにはなんと、巨大ロボットが?

それを探索するべく、彼女はツバメを伴ってロボットがあった場所に潜入します。しかしそこにロボットはありませんでした。しかも謎の男が現れ、みどりは逃げおおせましたが、ツバメは逃げそこねてしまった。

学校の中に巨大ロボット?一体誰が……
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逃げ出したみどり、「ロボット犯罪の匂いがするな……」とつぶやきます。パトレイバーの出番ですか?!

恐る恐る探察を再開するみどり。そこにはやはりロボットがありました。しかもそこにはさやかとツバメも?映像研構成員66%が洗脳されてしまった!3人しかいないので、2人なら66%ですが……細かい(笑)と思ったらロボットのロケットがみどりを直撃!

でもそれはペットボトルロケットで、巨大ロボはロボ研が持つ模型でした。ロボ研はかなり古い歴史を持つようで……つかこの高校自体、相当歴史が古い?

ロボットの概念自体、生み出されてから100年程度。それ以上前からロボットを研究していたとは、ロボ研すごい!
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そしてさやかがいた理由は、ロボ研からアニメ制作を依頼されたからでした。楽しそうと思いつつ、裏がないか怪しむみどり。

実はこの仕事には対価=お金が発生しているようで。金をもらって責任を持って仕事する、ともっともらしいことを言うさやかですが……ホント?対価と義務感なくやれるのが学生部活のいいところであり、悪いところだと個人的には思っていますが、どうでしょう?

改めてロボ研の模型を確認するみどり。いろいろツッコミどころ満載で、ロボ研メンバーからもめんどくさがられますが……それは後半に繋がっていきます。

校内でロケハン実施!膨らむイメージ

OP後、映像研3人娘は地下通路へロケハンしにいきます。実写でもないのにロケハンは必要?と疑問に思うさやか。
ただ私がいろんな作品の話を聞く限り、規模は違えど最近のアニメは基本ロケハンをしているようですね。特に都市圏以外の町で聖地的なものを打ち出す作品ですと、ロケハンがとても重要ではないかなと思います。

アニメでも重要になってきたロケハン。怖いところが苦手なみどりもイメージが湧いてくれば話は別!
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会

かなり暗い地下通路。みどりはこういうのがかなり怖いよう。なおさやか曰く、この作品は文化祭の目玉になる可能性あり、とのこと。映像研、ビッグになるチャンス?みどりは日陰で生きていきたいタイプのようですが……

地下通路の先には大きなスペースが。3人はここでロボットが対決するイメージを作ります。水棲型のカニ型怪獣と、チェーンソを武器にしたロボット!カッコいいです。「イマジネーションは現場にある」「自分が体験して得たものはオリジナル」とみどり、いいことを言います!

ロボットはロマン!そこで合致したみどりたち

交渉には弱みが必要?でもそれもあっさりと……

脱出時、床が落ちるというトラブルがありましたが、ロケハンは成功!3種類のイメージを作ってロボ研との打ち合わせに臨むことになりました。

制作自体は決まっている案件。交渉がもつれる可能性はあまりない。ただ、さやかは念のため交渉に有利な弱みを握ろうとします

が、そんな心配は無用で……ロボ研部長は映像研に敵意を抱いており、大声でアンチ映像研を叫んでました。弱み、あっさりゲットです(笑)

弱みをあっさりゲットできてご満悦のさやか(笑)
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会

ただ彼の敵意は、リアリズムな観点でロボットの欠点を指摘したみどりの発言が原因だったようで……?

人型で人間が乗って戦うという「いかにも」なロボットが大好きだったロボ研部長。不可能で矛盾があるのは百も承知。でもそういうロボが好きだし、乗りたんだ!と涙ながらに語る部長。

そしてその発言に、みどりとツバメが意気投合!謎の共感を共有することができました。周りは少し呆れていますが……(笑)

しかしそこから映像研とロボ研メンバーのイメージが膨らんでいきます。一度イメージを共有すると早いのが映像研!
起立した巨大ロボ、さまざまな武器類……盛りだくさん過ぎなところも徐々に修正しつつ、だんだんと様になっていきました

一度イメージが共有できればその後は早い!どんどんとロボットの方向性が固まっていきます。
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出来上がったのは、ガテン系なロボ?いろいろと複雑な構造ですが……果たしてこれ、アニメにできるのか?

ロボットアニメの歴史をまとめてみた

実は私、あんまりロボアニメには強くないんです(汗)

映像研、初の外注仕事はロボット研からのものでした。ロボットアニメ!胸が躍るやつですね!とはいえ私はあまり得意分野ではない……(汗)さやかの言う「特殊な教養」はあまり持ち合わせていないのが正直なところ。

なので、こちらのサイトを読んで少し勉強してみました。内容についてご意見もあるかと思いますが、私はある程度以上納得できました。

ロボットアニメの歴史

日本のロボットアニメの草分けは、やはり手塚治虫先生でした。漫画家として大成功した彼がアニメに進出する際、自身のヒットマンガ……そう、「鉄腕アトム」(をテーマにしたところから始まったとしています。
しかし彼の描くロボットはどちらかというと人間的な側面を強く持っていました。我々が「ロボットアニメ」と言われてイメージする、巨大ロボとは少し異なります。

巨大ロボのイメージを最初に作ったのは、漫画家の横山光輝先生です。「鉄人28号」(1963年)などですね。参照した論文いわく、鉄人28号は旧日本陸軍の秘密兵器、という設定。
横山先生の描くロボットは基本的に「道具」「兵器」の側面が強く、利用者の意志によって善にも悪にもなる、という点が興味深いです。

人が搭乗するロボットを「マジンガーZ」(1972年)で登場させたのは永井豪先生です。彼はさらに、合体ロボの元祖である「ゲッターロボ」(1975年)も生み出しました。機械的な側面からロボットアニメを進化させたのは永井先生だということが分かります。一方、永井先生のロボット作品は、ストーリーは勧善懲悪的な側面が強く、物語的にはそれなりだったとも。

そこを進化させたのがアニメ監督の長浜忠夫氏。長浜監督は「コンバトラーV」(1976年)「ボルテスV」(1977年)などのロボットアニメにヒューマンドラマを取り入れました。こうした流れを汲んだ70年代はロボットアニメ全盛期を迎えます

そしてそのヒューマンドラマのスケールをアップしたのがご存知「機動戦士ガンダム」(1981年)シリーズ。壮大なSF大戦の中で苦悩する若者たちを描きました。
ガンダムシリーズを生み出し、牽引した富野由悠季監督は、戦争に対する懐疑的な見方をしています。アニメに限らず、この時代の作家は多くがそういう視点を持っていました。人型ロボット=兵器=戦争、という公式の中で、戦争とはなにか?を問いかけた作品だったと言えます。80年代前半は現在に比べ、戦争は悪だ、絶対に避けるべきだという主張が強く共有されていました。富野監督のメッセージはそうした想いを抱く人々に大いに伝わっていきました。

しかし次第に、そうした反戦的な作家性はあまり受けなくなっていきます。時代が変わっていく中で、現代的なポップカルチャーを取り入れて成功したのが「超時空要塞マクロス」(1982年)です。本作、ロボット以上に特筆するべきはリン・ミンメイを始めとした女性キャラクターたちの躍動感。旧来の作家たちが持ち合わせていなかった女性観を元にしたヒロインたちは大人気を博します。こうした等身大のヒロイン像は、現在でも通用するものですね。
もっとも70年代以降は、ロボットアニメ⇒玩具を売るための道具的な側面も強くなり、乱発される中で作品の質が低下。次第に人気を失っていきます。

そんな中90年代に入り、登場したのが「新世紀エヴァンゲリオン」(1995年)。本作の特徴は戦争そのものより、碇シンジはじめとした登場人物たちの心理を、徹底的に描写したことでしょう。折しも90年代は自分探しがブームになり、そういう流れとエヴァの物語構造はとてもマッチしていました。
論文の中で、作品が持つ「不安感」が、バブル崩壊後の日本を覆うそれにリンクした、という考察もとても興味深い。

論文は98年に書かれたものなのでここで考察が終わっています。実際問題、2000年代以降、巨大ロボットアニメが減っているのは、作中ツバメが指摘した通り。

手っ取り早く言えば「ブームが去り、商業主義的にあまり恩恵がなくなったので減った」ということでしょうか。ちょっとロマンのない話ですね。

ロボットを操る人間ドラマが成功の秘訣か

全体的に見て興味深いと思ったのは、ヒット作はロボット自身がカッコよかったということもさることながら、ロボットという兵器が登場する戦争、そしてそれに立ち向かう(怯えるともいえる)人間たちのドラマを描いた作品がヒットしている点です。

ロボットは機械であり道具であり兵器。それ故に、動かす人間がどのような気持ちであるか?はとても重要な要素だったのでしょうし、そこに作品としての優劣や時代性があったのだなと思いました。

今となってはツッコミが優先してしまう巨大ロボット。でもロボットファン、ロボアニメファンならそれを乗り越えてでも、という気持ちは共有できるかと思います。
© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会

ロボットアニメを熱く語る人は、40歳の私までか、それ以上の年代に多く見られます。逆に言えば、私より下の世代でロボットについて熱く語る人は少数派
すなわち、幼年時代にロボットアニメがたくさんあったか、どうか?でかなり決まっているとも言えそうです。

そう考えると、第5話ではロボットについて熱く語り合うシーンに強く共感できるかどうかは、見ている方の年代で決まるのかも?

そういう中で、彼女たちがどんなロボットアニメを作るのか。楽しみですね!

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